「ライトアップ木島櫻谷Ⅲ」を見る
泉屋博古館東京(港区六本木)で開かれている「ライトアップ木島櫻谷Ⅲ―おうこくの色をさがしに」を見てきました。明治後期から昭和初期にかけて活躍した日本画家、木島櫻谷(このしま・おうこく、1877~1938)の企画展です。櫻谷の写実や絵具の使い方の巧みさに、日本画の領域を超えようとした時代精神と挑戦心を感じました。近年、再評価の機運が高まっているとのこと、その理由がわかった気がします。7月5日まで開催されています。
目を引いたのは、「燕子花図」や「竹林白鶴」など二曲一双の屏風です。燕子花(かきつばた)といえば、教科書に出てくる江戸時代の尾形光琳(1658~1716)の作品が有名ですが、櫻谷の作品は色が鮮やかで、初夏のさわやかさを感じさせます。(下の画像は、木島櫻谷《燕子花図》大正6年(1923)泉屋博古館東京、上は屏風の左、下は右)


一方、竹林は、絵具を厚く塗る洋画のような技法で、竹の稈や葉の質感を際立たせています。(下の画像は、木島櫻谷《竹林白鶴》大正12年(1923)泉屋博古館東京、上は左、下は右)


同館の野地耕一郎館長によると、櫻谷は、新しい岩絵具を使ったり、絵具を厚く塗る技法を考えたり、多彩な洋画を意識しながら新しい日本画を描こうとしました。たしかに、果実を頬張るリスを描いた「葡萄栗鼠」などを見れば、静的な日本画に動的な洋画のリズムを取り入れることに腐心したように思われます。(下の画像は、木島櫻谷《葡萄栗鼠》大正時代 泉屋博古館東京)

櫻谷は「文展の寵児」と呼ばれた時期がありました。1907年に創設された「文展」(文部省美術展覧会)の第1回から6回まで連続して、上位の賞を受賞したからです。1912年の第6回に出展された「寒月」は、二等賞(一等賞は空席)を獲得したことで「寵児」ぶりを見せましたが、それだけでなく、夏目漱石(1867~1916)の批評で話題にもなったようです。「屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と酷評したのです。
「寒月」は、来年6月から同館で展開される「生誕150年 木島櫻谷」で展示されることになっていますが、その画像を見ると、月に照らされた雪の竹林を歩く狐の様子が動的に描かれていて、素人目にもすばらしい作品だと思います。漱石が「写真屋」とけなしたのは、写実主義に走っているように見えた櫻谷の姿勢に納得できなかったのでしょう。日本画が洋画に圧倒されそうな時期、櫻谷らは、洋画の技法などを取り入れながら、日本画の刷新を図ろうとしていました。漱石は、そうしたあがきに対して、西洋美術と東洋美術は違うのだから、もっと自信を持てと言いたかったのかもしれません。(下の画像は、木島櫻谷《寒月》大正元年(1912)京都市美術館、上は屏風の左、下は右)


それにしても、壮年に域に達していた漱石が10歳年下の櫻谷に投げかけた言葉は厳しすぎるようにも思えます。ロンドン留学で西欧文化に圧倒され、なじめないまま帰国、東洋文化に傾斜した漱石は、西欧文化を取り入れようとあがき、もがく櫻谷らの姿にロンドン時代の自分を投影したのかもしれません。日本画の未来は、そんなところにない、形ではなく心を描く日本画の原点に帰れ、と叱咤激励したかったのかもしれません。
漱石が「草枕」で主人公に語らせた絵画の本質は、「神往の気韻」である「神韻」です。画家の精神が具象を超えて心の響きとなるような絵でしょうか。私には、「寒月」に限らず、孤高の精神を感じさせる櫻谷の作品に、「神韻」が漂っているように思えます。
この企画展で予習した櫻谷の生誕150年展、再評価を確認するうえでも、開催が楽しみです。(下の図は、2017年6月15日から8月1日まで泉屋博古館東京で開催される「生誕150年 木島櫻谷」のポスター)

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