総選挙を振り返る
衆院選の開票が始まった10月31日の午後8時ごろ、東京の京王線の車内で、乗客にナイフで切りつけたうえ、油を床にまいて火をつけ、乗客17人に重軽傷を負わせた24歳の男が殺人未遂の疑いで逮捕されました。「人を殺して死刑になりたかった」「ハロウィンで人の多い電車を狙った」といった供述をしているようです。容疑者の頭の中には、ハロウィンはあっても、選挙はなかったのでしょう。投開票日にたまたま起きた事件ですが、政治が人々の暮らしを良くするというリアリティーを失っていることを象徴するような事件だと、思えてなりません。
今回の選挙ほど、候補者の声が有権者の胸に響かなかった選挙はなかったのではないか、と思います。この2年間、人々の生命と暮らしを脅かしてきたコロナ禍が一時的にせよ急速にしぼんできました。このため、コロナ対策として各党が用意した現金給付、減税などの「ばらまき」公約も輝きを失ったように見えました。バラマキもうれしいが、そのツケをどうやって払うのだろうという心配も強くなったと思います。有権者は、一時しのぎの政策よりも長期的な暮らし向きを良くするビジョンを求めていたのに、それに応えてくれる政党は見当たらない、それなら、現状維持でいいのではないか、そんな選択の選挙になったように思えます。
◎野党統一候補の得失
今回の選挙で目新しいことは、野党5党(立憲、共産、国民、社民、れいわ)が多くの小選挙区で統一候補を立てたり、候補者をしぼったりという戦術を取ったことです。東京8区では、統一候補になった立憲新顔の吉田晴美氏(49)が自民党の派閥領袖である石原伸晃氏(64)を破ったり、神奈川13区では、立憲新顔の太栄志氏(44)が自民党幹事長の甘利明氏(72)に競り勝ったりといった“金星”をあげました。しかし、一本化した選挙区の総数213に対して野党候補が勝ったのは59選挙区で、野党共闘の効果は限定的だったといえそうです。
野党共闘の柱になったのは、リベラル派の政治応援団といえる「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)が提示した20項目の政策に賛同した立憲、共産、社民、れいわの4党の共闘でした。政治力からみれば事実上は立憲と共産の選挙協力でしたが、立憲は公示前よりも13議席、共産は2議席、それぞれ議席を減らし、小選挙区での共闘の勢いで比例もふやすというもくろみは見込み違いに終わりました。この選挙結果を受けて、立憲では、党の創設者ともいえる枝野幸男代表が辞任を表明することになりました。
結果をみれば、野党統一候補の効果は限定的だったといえそうですが、小選挙区は各選挙区からひとりしか選ばれないため、少数党にとっては不利な仕組みです。だから、少数党が勝とうとすれば、ほかの党との共闘は有効というか必然ということになると思います。今回の選挙で自民党は289の小選挙区のうち65%にあたる189議席を獲得しましたが、もし公明党との選挙協力がなければ、その議席はかなり減っていたはずです。1強といわれる自民党ですら、公明の協力を仰いでいるのですから、これからの選挙でも、なんらかの野党共闘は必然ということになるでしょう。
立憲や国民の支持母体である連合の芳野友子会長は、今回の選挙結果について、立憲と共産党との共闘で「連合の組合員の票が行き場を失った」と批判しました。たしかに、共産との共闘を避けた国民は市民連合の政策協定には参加しませんでしたが、議席数を公示前の8議席から11議席に伸ばしましたから、連合からすれば、立憲が共産と組まなければ、もっと勝てたと思うのでしょう。しかし、自民1強を崩すという戦略のもと、連合が野党の統一候補を積極的に支援すれば、立憲はもっと議席をふやしていたかもしれません。
野党共闘のあり方は、今後の選挙に向けて、いろいろな意見が出てくると思います。私見を言えば、野党共闘の仲介役となった市民連合が政治のコーディネーターだけでなく、選挙戦にも前面に出てくる必要があると思います。市民連合は、安倍政権下の安保法制の改正に反対するため2015年につくられた組織で、今回の選挙に向けた政策提言の呼びかけ人は、政治学者の山口二郎氏、経済学者の大沢真理氏らで、市民連合の賛同者リストには、学者や作家ら多くの「文化人」が名を連ねています。市民連合がリベラルな政策を実現するために政治家を動かす、そのためには選挙戦で街頭にも立ち、無党派の有権者を動かす、という構図ができれば、野党間のあつれきを市民が和らげたり、抑え込んだりできるように思います。
◎分配政策の中身
今回の選挙で、政策面で話題になったのは分配政策です。分配政策とは、富裕層からの税収をふやす税制と、福祉を充実する社会保障制度によって、富裕層から貧困層への所得の移転を進めて、公平な社会をめざす政策です。これまでの選挙では、リベラルと呼ばれる野党が福祉の充実を訴え、分配政策を重視する政策を掲げてきましたが、今回は、自民党が「成長と分配の好循環」を掲げ、分配を重視する姿勢を見せたので、話題になったのです。しかし、選挙戦では、与野党とも「分配」を口にした結果、選挙の争点としてはかえってぼやけてしまい、有権者に響かなかったのではないかと思います。
自民党の作戦勝ちともいえますが、小泉政権(2001~2006)時代に鮮明になった新自由主義政策が社会的格差を広げ、非正規労働者の増加による賃金水準の低下が社会的にも経済的にも深刻な影響を及ぼすようになり、自民党も「分配」を言わざるを得なくなったということでしょう。OECDによると、2019年の貧困率を先進7か国(G7)でみると、日本は低い順で仏、独、加、英、伊に続く6番目で、最後は米国となっています。OECD38か国でみても、日本は27番目です。日本は、「社会的に平等な社会主義国」などといわれてきましたが、いつのまにか社会の中で貧困層が多いという国になっていたのです。
分配政策を強化するには、たとえば株式の配当金の分離課税(20%)を廃止してほかの所得と合算する総合課税(最高税率は45%)にする金融所得課税の強化策などが考えられます。岸田首相は「『1億円の壁』を念頭に金融所得課税を考える必要がある」と、就任会見では踏み込んだのですが、すぐに撤回してしまいました。「1億円の壁」とは、年間所得が1億円を超えると、株式配当の分離課税などによって、所得税の負担率が減少することを言います。首相は、分離課税に手を付ければ、富裕層が株式保有を嫌い、株価が下がることを恐れたのでしょう。この程度の税制改革ができなければ、分配政策を重視などと言えないのは明らかです。
所得が1億円超という人は2万人程度といわれますが、分離課税の20%を超える所得税率が適用されている納税者はずっと多いはずで、税制による所得の再分配としては、有効な政策だと思います。
首相は、子育て世帯への支援や医療・介護・保育職員の賃金引上げを公約しました。しかし、富裕層や富裕企業などへの課税強化がなければ、ばらまき型の分配となったり、国民の保険料の引き上げにつながったりするわけで、社会的な公平につながる再分配にはなりません。
社会的格差を是正するための分配政策については、欧米でもその動きが出ていて、「新自由主義からの転換」は、世界的なトレンドといえます。岸田首相はこうした流れに乗った発言をしているのだと思いますが、具体的な中身が伴わなければ、選挙目当ての空手形になってしまいます。コロナ禍で、より深刻になった貧困問題は、いま政治が取り組むべき大きな課題だと思いますが、選挙戦で、その具体策を含め、十分な論戦にならなかったのは残念です。
◎防衛費GDP2%の衝撃
自民党は今回の選挙公約で、これまでおおむねGDPの1%以内に抑えられてきた防衛費について、「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」と明記しました。高齢化による社会保障費の自然増に加えて、防衛費を倍にしようとすれば、財政がさらに悪化するのは明らかです。防衛力が高まっても、国の台所が破たんすれば、国を守ったことにはなりません。
今回の選挙で、野党が積極的に「GDP2%」を取り上げなかったのは、中国の脅威が増しているうえ、公示日にあわせるように北朝鮮がミサイルを発射したこともあり、防衛論争では票を取れない、と踏んだからでしょう。「GDP2%」は、NATOが加盟国に2024年までの達成を要請している目標でもあり、「国際相場」かもしれません。
しかし、第二次大戦で多くの国民が犠牲になり、近隣諸国にも災禍をもたらした日本は戦後、軍事力によらない外交を憲法にうたい、「平和国家」の道を歩んできました。米中の対立が深まるなかで、日本が軍事力を増強すれば、当然のことながら中国もさらに軍事力を増強することになります。日本の3倍のGDPの中国と軍拡競争をすれば、策にへたってしまうのは日本だと思います。
選挙戦で野党が自民党の打ち出した「GDP2%」に強い抵抗を示さなかったことは、自民党に対抗する野党としての存在感を示さなかったことにつながったように私には思えます。
◎若い世代に希望を伝えるには
いま英グラスゴーで開かれている国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)で、もっとも注目されている人物は、バイデン米大統領でも岸田首相でもなく、スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさん(18)ではないでしょうか。
「政治家たちは考ええいるふりをしているだけ。ペラペラ話すのはもうやめて(We say no more blah blah blah)」
これは現地でグレタさんが発した言葉で、気候変動への対策をさぼり、次の世代にリスクを残している政治家たちの議論には、「うっせぇうっせぇうっせぇわ」と言いたくなるとも当然でしょう。
今回の選挙でも、候補者たちが気候変動についての訴えや運動をもっと強くしていれば、若い人たちが選挙を自分たちの問題だととらえて、もっと若い人たちが参加する選挙運動になったように思えます。
与党も野党も、気候変動で議論はできるのでしょうが、石炭火力とか原子力発電とか、個別具体的な議論になると、支持母体への配慮などから及び腰という政党もあるのでしょう。ブラブラブラの議論では、未来の生存がかっている若い世代は納得しないと思います。
貧困対策でも、気候変動でも、いま政治が動かなければ、明日はもっと悪くなるという危機感が選挙戦からは伝わってきませんでした。ハロウィンと重なった投票日に感じた恐怖は、このことです。
(冒頭の写真は自民党と立憲民主党のHPからコピーしたそれぞれの開票日の様子です。)
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