大手メディアが伝えない情報の意味を読み解く
情報屋台
文化
国際

アフガン難民を考える映画『ミッドナイト・トラベラー』

2021.09.01 Wed

2021年9月11日は、米国で起きた「同時多発テロ」から20年目にあたります。そのタイミングにあわせて9月11日から順次全国で上映される映画が『ミッドナイト・トラベラー』です。タリバンから死刑宣告を受けたアフガニスタンの映像作家が家族4人でアフガニスタンから欧州まで約2年、5600キロに及ぶ逃避行をする様子を3台のスマホで撮影したドキュメントです。

 

同時多発テロから20年目のタイミングは、米軍のアフガニスタンからの完全撤退と重なりました。それを見計らったようなタリバンによる首都カブールを含む全土掌握によって、カブール空港とその周辺では、タリバンから逃れようとする人々で大混乱、アフガニスタンは久しぶりに国際ニュースのトップになりました。

 

カブール空港に集まった外国政府や国際機関に協力したため危険にさらされている人々に限らず、これからはタリバン支配による圧政や人権抑圧、国際的な支援の不足による貧困や飢餓などから多くの「アフガン難民」が生まれることが予想されます。こうした人々を救済し、国際社会がどれだけ受容できるのか、私たちは大きな課題を突き付けられています。

 

この映画の試写を見ましたが、逃げる人々も大きなリスクを抱えていると同時に、難民を受け入れたり、通過させたりする側も社会的なリスクを抱えることがわかります。これから大きな国際問題となる「アフガン難民」問題を先取りする映画になると思います。

 

この映画を監督したハッサン・ファジルは、自身が制作したドキュメンタリー映画がイスラム教を侮辱しているとして、タリバンから批判され、映画に出演した男性は殺害され、監督自身も死刑宣告が出ていることを知らされます。そこで、妻と子どもふたりを連れて安住できる場所を求めての逃避行がはじまります。2015年のことです。最初に逃げた先は北で国境に接するタジキスタンで、そこにも危険が及んできたため、アフガニスタンを通過して、こんどは西で接するイランに入り、イランを横断してトルコに入り、トルコも横断してブルガリアの難民施設(キャンプ)、さらにはセルビアの難民施設で過ごし、ハンガリーに向かうところまでの約2年間が描かれています。

 

逃避行の途中で一家が過ごす場所は難民施設なのですが、生活の手立てはなく、仕事がある場所を求めるにはヨーロッパしかないということで、西をめざして進みます。難民施設から次の難民施設に移るには、国境をひそかに越える必要があるため、闇の輸送業者に頼んで法外のお金を要求されたり、だまし取られたりされます。

 

多くの難民キャンプは、一時的な非難所であって、そこで定住したり、経済的に自立したりする場所ではありません。だから、自立するためには、定住できる場所を求めて移動しなければならないのですが、移動する間は密入国者となるので、闇の輸送業者が暗躍することになるのでしょう。

 

こうした自立を求める難民の実際は、あまり報道されていないせいか、この映画を見ながら、なるほどそういうことなのかと学習しました。この一家は、ハンガリーからは、難民として合法的に移動できるようになったようで、最終的にはドイツに定住することになりました。

 

キャンプという閉ざされた場所での生活に子どもがもういやだと泣き出す場面、キャンプから外出して買い物をする難民に対して地元の人々が暴力をふるう場面など、難民が強いられる日常の苦痛を見ると、いたたまれない気持ちになります。救いは月並みな言葉になりますが「家族の絆」です。しかし、考えてみれば、今の日本でも、コロナ禍の影響もあり、仕事を失った外国人労働者の人たちが難民化している現実もあるのです。

アフガニスタンの日本の大使館や政府機関で働いていたり、協力したりしていたアフガニスタン人とその家族を日本政府は救出することができませんでした。大使館員が真っ先にアフガニスタンから脱出したあと、日本政府は現地の協力者にどう対応するのか、例によって小田原評定を続けた結果、タイミングを逸したようです。日本の対応とは裏腹に、テレビ映像では、カブール空港で防弾チョッキをまとった英国の大使が最後に離脱する様子が流れていました。

 

ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)という言葉は、日本という国の外交官にはないようです。9.11のときに、私はワシントンにで暮らしていましたが、事件のあと日本大使館から邦人に回ってきたのは、米国の国務省が外国に暮らす米国人に流した、自国民が外で目立つようなパーティーをするなといったたぐいの注意書のコピーだけでした。

 

私たち在留邦人が知りたかったのは、自分たちの周辺のどこに原子力発電所があるのか、それが爆破されたらどういうルートで逃げたらいいのか、炭そ菌がまかれたら、どういう対応をしたらいいのかといった、当時予想される最悪の事態への情報でしたが、日本大使館がご好意で配布していただいた注意書きは米国製の注意書きのみ。日本大使館にとって「邦人保護」とは、この程度のことかと痛感しました。何の対応もせず、苦しくなると、自助、自己責任を持ち出す政府の体質は、今回のコロナ対応でもよく出ています。

 

日本は、米国やNATO諸国と違って、自衛隊をアフガニスタンの陸上に展開し反政府勢力と戦闘することはありませんでしたが、「復興」には力をいれてきました。今年の外交青書には次のように書かれています。

 

「アフガニスタンの復興では、日本は、2001年以降、68億米ドル以上の対アフガニスタン支援を実施してきており、主要ドナーとしてアフガニスタンの復興に貢献している」

 

復興にお金は出してきたが、復興に失敗したので、難民は欧米諸国におまかせ、というわけにはいかないでしょう。国際社会における国家としての責任を果たすには、「アフガン難民」を引き受ける必要があると思います。

 

映画の話に戻ると、スマホでも映画に堪えられる映像が撮れることに驚きました。家族に危険が迫っている場面では、スマホ映像がその緊迫感、臨場感をよく伝えていますが、それだけでなく、美しい風景を写した場面なども、スマホの威力を見せつけています。これからもスマホ映画はふえると思いますが、その点でもこの映画は時代を先取りするものかもしれません。

映画は2019年制作で、配給はユナイテッドピープル。9月11日から上映するのは東京・渋谷のシアター・イメージフォーラム。

冒頭及び文中の写真はⒸ2019 OLD CHILLY PICTURES LLC.


コメントする

内容をご確認の上、送信してください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

文化 | 国際の関連記事

Top