日米首脳会談の成果と不安
米中の対立が激しさを増すなかで、菅首相とバイデン大統領との首脳会談は、中国との全面的ともいえる対決に舵を切った米国の戦略に日本が真っ先にコミットしたことを世界に示すものになりました。共同声明で、「台湾海峡」の重要性に言及したことは、台湾有事の際に日本が軍事面でも積極的に関与する可能性に踏み込んだものといえるでしょう。
ルビコン川を渡った
菅首相はバイデン大統領に背中を押される形で、中国との対決というルビコン川を渡ったように見えます。この決断が日本にとって正しいものだったかどうかは、今後の歴史が教えることになるのでしょうが、日本国民の多くはそれほどの認識も決意も持っていないように思えます。
バイデン大統領が面談する最初の外国首脳として日本の菅首相を選んだことは、日本の自尊心を大いにくすぐるものとなりました。また、共同声明で、中国の東シナ海や南シナ海での海洋進出をけん制するとともに、香港及び新疆ウイグル自治区での人権侵害に懸念を表明したことは、中国に対して毅然とした態度を日本も示したとして、野党を含め評価する声も出ています。
このところの尖閣諸島付近での中国の挑発行動や香港の民主主義を踏みにじる横暴ぶりに対して、不快に思わない日本人は少ないと思います。その意味では、米国という強い味方と一緒だから言えたということでしょうが、日本が中国に言うべきことを言ったというのは、評価されることかもしれません。
とはいえ、中国との対決姿勢を強める米国へのコミットメントを深めることのリスクを忘れてはいけないと思います。2015年に安倍政権が整備した安保法制は、憲法を変えることなく集団的自衛権の行使を認めるものでしたが、今回の首脳会談によって、台湾有事になれば日本が集団的自衛権を発動する可能性が高まったと言えますし、他国に優先して日本の首相を招いた米国の狙いも、まさにこの点だったと思います。
台湾と中国との間で局地戦を含む戦争が起こり、米軍が台湾に加担することになれば、米軍の艦船や航空機の多くは日本の米軍基地から発進することになります。米軍の艦船や航空機が中国から攻撃を受けた場合、日本が集団的自衛権を発動できる「存立危機事態」と認定する可能性が高くなります。
「台湾有事」の可能性は、安保法制ができたときには、想定される事態のひとつでしたが、「朝鮮半島有事」の可能性のほうがずっと高いと思っていました。しかし、このところの中国と台湾の関係、米国と中国、台湾との関係をみていると、台湾有事は現実性を帯びてきています。集団的自衛権というと、攻撃を受けた米軍などの支援という場面を想像していましたが、台湾有事となると、日本にある米軍基地が中国から直接の攻撃を受ける可能性も出てきます。火の粉が飛んでくるどころか火の海になるおそれすらあるのです。
「日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した」
これは、日米共同声明の日米同盟について述べた部分で、日本の防衛力強化の「決意」とともに、米国の核を含む軍事力による日本の防衛力支援がひとつの文章に明記されています。今回の会談で日本がコミットしたのは台湾海峡だけではなく、自国の防衛力の強化も米国に約束したということです。そして、わざわざ「核を含む」と米国の核の傘の下に日本が入っていることを強調しています。米国は日本をしっかり守るから、日本も防衛力を強化せよ、という米国の要求を日本も受け入れたということなのでしょう。
防衛面での自助を求めるバイデン流は、守ってやるから金を出せ、というトランプ流とは違いますが、日本が防衛力を強化するとなれば、米国からさまざまな防衛装備を購入することになります。防衛力強化の決意の中身はこれから詰めるのでしょうが、日本の防衛費がさらに拡大することは確実です。
増大する経済リスク
日本の米国の対中戦略にコミットするリスクは安全保障だけではありません。経済面でのリスクも十分にあります。中国全土で反日デモや日系企業への襲撃、不買運動などが起きたのは2012年で、野田政権による尖閣諸島の国有化方針が示されると、この反日運動はさらに激化しました。自然発生というよりも、中国政府が過激化する運動を容認していると中国国内で受け止められたことが騒ぎを大きくしたように思います。
昨年、オーストラリア政府が新型コロナ感染症の発源地に対する国際的な調査を中国に求めたことに対して、中国が豪州産の牛肉やワインなどの輸入を制限する「報復」措置を取ったことは記憶に新しいと思います。
中国は、日本にとっての最大の貿易国ですから、オーストラリア以上に「貿易戦争」によるリスクも覚悟する必要があるでしょう。中国に進出している日本企業は13,000社を超え、その4割は製造業です。製造業を中心に日本企業の中国依存度は、米国よりも高いはずです。また、拡大する中国の消費市場を狙って中国に進出している日本企業も多くあり、不買運動は大きなリスクになります。昨年来、新型コロナ感染症の影響で、中国からの観光客数は激減していますが、それまでのインバウンド景気を支えてきたのは中国からの観光・買い物客でした。
安保の軸足を米国に置きながらも、経済の軸足は中国にかけてきた日本が「中国離れ」をするのは、米国や欧州諸国以上に大変なことになると思います。だから、中国の横暴ぶりに目をつぶれではなく、中国に対して毅然とした態度をとることができるように、経済面での「自立」を急ぐべきだと思います。防衛面でも、と言いたいところですが、GDPで比べれば、いまや日本の3倍近い中国とまともに軍拡競争をやって勝てるはずはありません。総合的な外交力を鍛えるとともに、経済力という「身のほど」を考えながら「専守防衛」に徹することが肝要だと思います。
日米首脳会談を受けた日本政府内の反応のなかに、「閣僚の一人」の下記のような言葉を朝日新聞が報じていました。
「閣僚の一人は『台湾』明記にこう漏らした。『米中板挟みの状態から、首相は態度を決めたのだろう。だが、対中では厳しい立場に置かれてしまう。もう少し態度はあいまいでよかった』」(4月18日)
あいまいな態度は弱腰と批判されますが、ときには、あいまいさを使うのも政治的なリアリズムだと思います。
「関与政策」の終焉
冷戦が終結した後の米国の対中政策の基本は、中国を市場経済のなかに引き入れれば、経済的な発展につれて政治の仕組みも民主主義に近づいていくという「関与政策」でした。米国に言わせれば、1971年の米中の国交樹立以来、米国が中国を支援してきたのは、中国の民主化という未来を信じたから、ということになります。
ところが、トランプ政権が中国との貿易戦争を始めたことで、これまでの政策は大きく変わりました。バイデン政権は就任後すぐに、トランプ政権の多くの政策をひっくり返しましたから、対中政策もトランプ以前に戻すのではないかと思っていましたが、中国については、トランプ政権の強硬さを引き継ぎ、さらに強化しているように見えます。
その背景にあるのは、香港や新疆ウイグル自治区での民主主義の弾圧や人権の侵害に見られるように、経済発展を促せば民主化が進むという保証はありません。これまでの米国の「関与政策」(エンゲージメント)が失敗だったという思いをバイデン大統領自身が強く思っていることだと思います。
バイデン大統領は就任後初めてとなる3月25日の記者会見で、中国やロシアを念頭に21世紀は「民主主義と専制主義との闘い」と語りました。その際、大統領はオバマ政権の副大統領時代に、当時国家副主席だった習近平氏と長時間、懇談した話(2011年8月にバイデン副大統領は北京で習近平副主席と会談しています)を紹介して、習近平氏のことを次のように語っています。
「彼のなかには、民主主義の『み』の字もない。彼はとても賢い人だが、プーチンと同じように、専制政治は未来の波であり、民主主義はもはやこれからの複雑な世界では機能できないと考えている人のひとりだ」
バイデン政権が中国との全面対決を打ち出したもうひとつの理由は、中国の経済的な膨張でしょう。冷戦が終わった1990年にGDPで米国の7%弱だった中国は、2020年には米国の73%に達し、2020年代に米国を追い越すという予測まで出てきました。バイデン大統領は3月25日の会見で、次のように語っています。
「中国には全体的な目標があり、それは、世界をリードする国、世界で最も裕福な国、そして世界で最も強力な国になるというものだ。私はそれを批判することはしないが、米国も成長と拡大を続けていて、それが私の時計で起こることはありえない」
米中逆転が起こらないという「私の時計」が大統領の任期中をさすのか、「私の目の黒いうちは」という意味なのか、わかりませんが、逆転許さじ、という強い決意表明であることはわかります。
「日本たたき」の成功体験
世界覇権を奪おうとする中国への米国の対抗心ということで思い出すのは、1980年代の後半から1990年代にかけて、GDPで急速に米国に接近した日本のことです。1995年に日本は米国の71%まで迫りましたが、それをピークに日本の経済規模は急速に低下し、2020年には米国の24%にとどまっています。
振り返れば、あの時代の米国は、日本を「不公正貿易国」だとたたき、円高で輸出競争力を奪い、半導体やスパコンなど先端分野で日本の成長を許さず、その後のIT分野で日本に付け入るすきを与えませんでした。このときの通商、金融、成長戦略を駆使した日本に対する成功体験は米政府内にも残っているはずですから、こうした政策を中国にも適用しようとするのではないでしょうか。
また、これからの飛躍的な成長が期待されるハイテク分野で中国を切り離すには、欧州や日本、韓国などを巻き込んだ仕組みにしなければ効果は半減します。冷戦時代には、米欧日の西側諸国から軍事技術が共産圏に流出するのを規制したCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)がありましたが、バイデン政権はその対中ハイテク版を模索することになると思います。
今回の日米共同声明は、「日米両国は、デジタル経済及び新興技術が社会を変革し、とてつもない経済的機会をもたらす可能性を有していることを認識する」としたうえで、とくに半導体について、次のように宣しています。
「日米両国は、両国の安全及び繁栄に不可欠な重要技術を育成・ 保護しつつ、半導体を含む機微なサプライチェーンについても連携するだろう」
半導体は、民生面でも軍事面でも、いまやもっとも機微な(センシティブ)戦略資源になっています。「最先端の半導体を製造する巨額投資に耐えられるのは、台湾と台湾積体電路製造(TSMC)、次いで韓国のサムソン電子の2強に絞り込まれた」(朝日新聞3月31日)という状況をみると、米国が急速に台湾に肩入れしているのは、軍事的な側面だけでなく、経済的な側面それも半導体を守るためではないかと思われるほどです。
日本の生きる術
世界覇権を争う米中間の争いが長期になるのは確実で、日本がその板挟みになるのも目に見えています。安全保障で日本が米国にコミットを深めることは、必ずしも日本の安全がより確保されるということにはなりません。
中国に毅然とした態度をとる、言うべきことを言う、米中の仲介役として緊張の緩和を求める…。「言うは易く行うは難し」ですが、こうした外交努力を放棄すれば、日本がもっと危険にさらされることは明らかです。
どうすればよいのか、ひとつの道は、政治でも経済でも米中両国から一目置かれる存在になることだと思います。いまの日本の指導者にそれを期待するのは酷かもしれませんが、少なくとも政治家同士のつながりをより太くすることは大事だと思います。習近平氏の訪日は、両国にとっての課題として残っているはずで、この宿題を追求するなかで日中両国が努力するプロセスは重要だと思います。
経済面で必要なのは、ハイテク分野でサプライチェーンの要となる技術を日本がふやしていくことだと思います。半導体そのものではTSMCやサムソンに水をあけられている日本ですが、その周辺技術では、世界的なシェアを誇っている企業もあります。
東芝の外資による買収が取りざたされていますが、外資にとっての東芝の魅力は東芝が最大株主である半導体メーカー「キオクシア」(旧東芝メモリー)だといわれています。「半導体ウォー」は、米中対立の中で、さらにし烈になってきているということでしょう。
日本の活路はハイテク技術で、文字通り「官民あげて」という決意とその継続に日本の存亡がかかっている、と言えると思います。
(冒頭の写真は首相官邸のから)
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