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3.11から10年

2021.03.02 Tue

3.11という数字が通称となった東日本大震災から10年になります。いま被災地を歩いてみれば、きれいに整地された土地や新しい建築物が並び、町全体ががれきで覆われた震災直後の惨状を思い起こすのは難しいでしょう。目に見える復興は着実に進んできたといえます。しかし、震災以前の町の賑わいは戻ったかと問われれば、否定する人がほとんどだと思います。

 

日本記者クラブが「3.11から10年」と題して行っている記者会見シリーズ(すべてリモート)に参加し、被災自治体の首長の話を聞きながら、この10年を一言で総括すれば、人口減少だと思いました。

 

  • 加速する被災地の人口減少

 

震災直前の2011年3月1日と2021年1月末の人口を比べると、この間の減少率は、宮城県女川町37%、同南三陸町29%、同山元町27%、岩手県大槌町25%、同陸前高田市20%などとなっています。

 

宮城県石巻市の減少率(起点は2020年9月末日)は14%ですが、被害の甚大だった雄勝地区(旧雄勝町)は74%、牡鹿地区(旧牡鹿町)は50%となっています。2005年の合併がなければ、雄勝町や牡鹿町は人口減の最たる被災地になっていたはずです。

 

減少率が17%の宮城県気仙沼市の菅原茂市長(63)は会見(2月4日)で、「最大の課題は人口減少で、震災後の2013年から18年までの現象率は年平均1.4%だったのに、18年から20年までは1.8%に加速している」と述べていました。朝日新聞(デジタル版2月2日)は「人口減『再加速』か 18年以降 『ポスト復興期』に」という記事で、宮城県全体の人口動態について「17年以降の減少率は震災前の水準を超える」と記述、その理由として、震災後は福島県からの避難者や復興事業関係者の転入があったが、それが落ち着くと、死亡数から出生数を引いた自然減による減少が顕著になったと分析しています。

東京電力福島第1原子力発電所の放射能汚染で、原発から遠方への避難を強いられた福島県の被災地の人口減少はもっと深刻で、浪江町の現在の町内居住人口は震災前の約7%、富岡町は約10%、飯館村は約28%などとなっています。

 

  • 高台移転やかさ上げが人口流出を助けた?

 

震災復興のグランドデザインを示した政府の復興構想会議の報告書(2011年6月)は、防潮堤で町を守る「防災」ではなく、津波から逃げるという「減災」の考え方から、土地のかさ上げや高台への移転を提案しました。この会議のメンバーだった私は、高台移転や土地のかさ上げは、復興のひとつのモデルにはなるが、被災地の全域でこれを実現するのは莫大な費用がかかり、難しいのではと思っていました。

 

しかし、ほとんどの被災地域で、高台移転や土地のかさ上げが実行されることになり、被災地域の町の姿は地形的にも一変することになりました。復興というより新生であり、新しい暮らしや生き方も舞台をつくるという意味では、被災地の住民を勇気づけるものになったと思います。その一方で、区画整理のための地権者の確認やかさ上げする土地の造成に時間がかかり、その間に、他の自治体に移った人たちがその地に「定住」した結果、もとの自治体に戻り新たに造成された土地に移ることができなくなった人たちも多くなったのだと思います。

 

区画整理で広大な土地をかさ上げしたものの地権者が戻らず、半分近くの土地が空き地になっているのが陸前高田市の中心市街地です。過大な計画だったのではとの批判に対して陸前高田市の戸羽太市長(56)は会見(2月12日)で、「二度と津波で命を落とすことがないような町をつくるための区画整理事業で、そこに住みたいという要望があるのに縮小することはできなかった」と語っていました。市長自身も津波で妻をなくしています。(写真は日本記者クラブの会見記録から)

戸羽市長は、災害復興時における区画整理などの事業は、時限立法でもいいから、国から地方自治体に権限を委譲したり、地権者の確認や同意を簡素化したりしないと、復興に時間がかかり、空き地問題を繰り返すことになると、今後への課題を指摘しました。(陸前高田市の高田地区の地図。「売りたい」「貸したい」という場所が目立つ。陸前高田市の土地利用促進バンクより)

今回の震災では、津波に襲われた沿岸地区を居住禁止にして公園などとして整備するため、対象地域を用地買収する津波復興拠点整備事業が法的に認められるようになりました。換地を原則とする区画整理事業ともに復興の有力な手立てとなりました。今後の大都市圏での災害を想定すると、換地や用地買収など組み合わせた復興計画を地方自治体が独自の判断ですみやかに実行できる法整備が必要だと思います。

 

一方、女川町の再建では、宅地造成の凍結、公営住宅の縮小、区画整理の縮小などの変更がなされ、空き地が目立つ陸前高田市とは対照的になりました。同町の須田善明町長(48)は会見(2月16日)で、「当初計画から工事の縮小や凍結ができるように計画を立てた」と説明していました。陸前高田市の戸羽市長は「復興に向かう市民を励ます数字」として、人口減にならない復興計画を示したと説明していましたが、須田町長は「人口減でも町の活力を維持できるようなコンパクトシティ化を復興計画の基本コンセプトにした」と語っていました。(写真は日本記者クラブの会見記録から。地図は須田町長が示した土地利用計画図で、縮小や凍結の文字が目立つ)

結果論かもしれませんが、復興後の姿をどうみるかという首長の考え方の違いが空き地についての明暗を分けたのかもしれません。

 

  • 若者が定住できる産業

 

被災地のどの首長も頭を悩ませているのは、どうすれば、若い人たちが地元にとどまれるような産業を発展させることができるか、という問題です。産業があれば、外からの移住者も含め、定住者がふえ、そうなれば、それが飲食店やスーパーなどさまざまなサービス業を招くことにつながります。

 

三陸沿岸の産業といえば、水産業ですから、どこも水産業の復興を掲げていますが、このところ海水温の上昇によって、サンマ、サバ、イカなどの不漁が続いています。海水温の変化は周期的なものという見方もありますが、地球温暖化の影響もあると考えれば、この不漁は長期的なものになるかもしれません。

 

宮古市の山本正徳市長(65)は会見(2月22日)で、「つくり育てる漁業」として、トラウトサーモンの海面養殖やホシガレイの陸上養殖をはじめたと説明していました。トラウトサーモンとは聴き慣れない魚ですが、ニジマスを海水で養殖させたもの。濃厚な鮮やかなオレンジの肉色が特徴で、チリ産やノルウェー産の輸入品が回転ずしなどで使われています。淡水魚のニジマスを海水で育てるというのは不思議な気もしますが、富山名産の「ますずし」のサクラマスは、河川に棲むヤマメが海に下って育ったものですから、マスの世界では、不思議ではないのでしょう。

 

南三陸町の佐藤仁町長(69)は会見で(2月24日)、「FSCとASCの認証を取得した自治体は世界でも南三陸町だけです」と胸を張りました。FSCは森林認証、ASCは養殖の認証で、それぞれ持続可能な生産であることを認める国際認証制度です。南三陸のASCはカキ養殖に与えられたものですが、志津川湾を抱える同町の主産業は養殖業で、カキのほかにもギンザケやワカメ、ホタテ、ホヤの養殖が盛んですから、国際認証の取得は、町の養殖業全体にとっても、「自然にやさしい」という付加価値を付与するものになっていると思います。

  • 生産者と消費者を結ぶカギは

 

とはいえ、こうした取り組みがあっても、人口減少を止められないという厳しい現実に被災地は直面しています。日本記者クラブの取材団は2月15日、石巻市内で水産加工業を経営する山徳平塚水産の平塚隆一郎社長(61)の話をうかがいました。平塚さんは、津波で流された工場を再会するに際して、規模を縮小するとともに、同業や異業種とのコラボや協力で新たな商品開発を進めたと言います。「牛たんつくねおでん」、「さんま茶漬け」、「サバだしラーメン」などで、たしかに水産加工品におさまりきれない商品です。販売ルートも、卸問屋を通じてスーパーなどの店頭に並ぶ量よりも、そうざいの宅配会社であるオイシックスなどを通じてのほうが多いと言います。大手の通販サイトは使っていますか、という質問には次のような答えが返ってきました。(写真は平塚氏の提供)

「震災後、ネット通販に力を入れ、大手の通販サイトを通じて月間数百万円の売り上げがあった時期もあるが、手数料が高いので、ほとんど利益が残らなかった」

 

産地の生産者は、複雑な流通過程で利幅が薄くなったり、下請けとして大手メーカーに泣かされたりしてきました。だから、ネット通販は、産地の生産者と大都市圏の消費者を結ぶ魔法の杖だと思っていたのですが、実際にはプラットフォーマーと呼ばれる大手通販に利益が集約されているのかもしれません。

 

防波堤や道路などの公共事業にかける巨大な復興費用をかけるのなら、三陸の水産物と首都圏の消費者とを結びつける常設の東北物産館を、新宿や渋谷のような繁華街に作ってほしいと思ってきました。コロナ禍も加わって、いま思うのは、リアルな物産館ではなく、ネット上のバーチャルな物産館を作ってほしい、ということです。

 

政府がこうしたサービスに助成金を出せば、民業圧迫になるかもしれません。しかし、寡占状態にあるプラットフォーマーが生産者に対して値下げを強いるような状態にあるのなら、被災地の「創造的復興」(復興庁のスローガン)をめざすとともに、自由で公平な市場を確保するためにも、必要な施策のように思えます。

 

  • 再生可能エネルギー

 

電力を生産する電力業は第3次産業だそうですが、水力や太陽光、風力、さらにはバイオマスなどの再生可能エネルギーは、自然に向き合うという意味では、第1次産業的な性格を持っています。被災地のあちこちで再生可能エネルギーの挑戦がなされているのは、水産業が復興の中核事業とひとつになっているのと同じだとみるべきだと思います。

 

宮古市の山本市長は「宮古版シュタットベルケの構築」という政策を語りました。シュタットベルケは、ドイツの電気、ガス、水道、交通などの公共インフラを運営する自治体の企業体(公社)で、地域の再生可能エネルギーの活用で、電力ではドイツの電力小売市場の6割のシェアを占めています。宮古市が2020年に策定した「再生可能エネルギービジョン」は、市内で消費されるエネルギーに占める市内で産出される再生可能エネルギーの比率を「地域エネルギー供給率」と名付けて、2030年までに50%、2050年までに100%にするという目標を掲げています。(写真は日本記者クラブの会見記録から)

エネルギーというと、電力だけでなく、ガスや暖房や車の燃料なども含まれますから、ずいぶん大胆な構想だと思ったのですが、上記の「ビジョン」を読むと、バイオマス発電、水力発電、太陽光などによって2015年の時点で同市の地域エネルギー供給率は28.6%になっています。市の総面積の92%を占める森林をいかしたバイオマスや風力、太陽光などの潜在力とEV(電気自動車)やFCV(燃料電池車)などをふやしていけば、達成可能な計画に思えてきました。

 

山本市長は構想を進めるうえでの最大のネックは「発電した電力を流すための送電網の整備」と語っていました。バイオマスなどで発電した電力を送電しようとしても、送電会社の送電容量の余裕がないという理由で、制限されているのです。電力の自由化は、小売電力の自由化のあと、発電と送電の分離が進められてきましたが、分離が中途半端なため、新電力にとって託送料が高くついたり、電力の受け入れを制限されたりしているという批判があります。地域が電力の自給を進めようとするときに、送電網の問題を改善というか改革する必要があるのだと思います。

 

  • 長期化する原発問題

 

震災による事故を起こした福島原発周辺の自治体では、避難指示が解除された地域が広がるにつれて、もとの住宅に戻る人たちもふえていますが、戻るかどうかいまも悩んでいる人たちも多いと思います。また戻った人たちの間でも、その人が住んでいた地域が避難指示区域だったのか避難準備区域だったのか、などによって東京電力からの賠償額が異なるため、区分けの道路ひとつ隔てて、住民同士のやっかみや反発なども生まれているようです。

 

川内村の遠藤雄幸村長(66)は会見(2月19日)で、「原発事故による最大の被害は、住民間の軋轢と人間の尊厳の喪失」と語りました。同村内は、原発から20キロ圏の避難指示区域と20キロ圏外の準備区域に分かれ、さらには避難指示区域のなかには居住制限区域もありましたから、住民間の生活や意識の分断が起きたと思います。同村の住民票の人口は震災前から16%減りましたが、実際に村内で生活している人で計算すると減少率は32%です。(写真は日本記者クラブの会見記録から)

福島の人と話すと、賠償金などをめぐる地域格差や不平等の話が必ずといっていいほど出てきます。会見で「住民間の軋轢が最大の被害」と語る遠藤村長の言葉に、原発による被災地の深い苦悩を感じました。そこで、私は会見で、「川内村にとって、原発という存在は何だったと思いますか」と、唐突な質問をしたところ、次のような答えが返ってきました。この村長の言葉で、この論考を終えたいと思います。

 

「本当になんだったのでしょうね。我々の先人が地域振興、雇用の場として積極的に原発の誘致を推進してきたのは間違いないのですが、振り返ってみると、それは貧困の裏返しだったと思います。そういう地域が存在するからこそ、原発の誘致をしてきたわけですから、それを否定する気はありません。ただ、事故が起きたいま、もう一度立ち止まって考える必要があると思います。エネルギーは国策ですから、これからそれぞれの立場に置かれている人たちが日本のエネルギー政策をしっかりと考えるのでしょうが、事故が起きた福島では再開してほしくないというのが私の素直な気持ちです」

 

「原発誘致のメリットは地域振興、雇用の場、新たな産業でしょう。エネルギー政策は豊かさの象徴で、その豊かだよという権利を得るために貧困な地域は誘致を積極的に進めたのです。そういう意味ではメリットはありましたが、デミリットは、やはり今回のようなことが起こるということ。事故が起こることすら想像しなかったことが大きな反省点です」

 

(冒頭の写真は2011年3月25日に筆者が撮影した石巻市南浜地区)


この記事のコメント

  1. 高成田 享 より:

    被災地の課題は「人口流出」と書いたのですが、現在は、「流出」よりも、自然減を抑えるのが難しいという要素が大きいようなので、「人口減少」と直しました。「流出」と「減少」を明確に区別せず使っていたと反省しています。すみません。

  2. 国家再生 より:

    被災し他所へ逃れて10年もたてば、移住先に慣れて定着するのが自然でしょう。放射能汚染を除去して安全と言っても、よくウソをつく日本政府を全面的に信用できないのでは。
    此の頃の政治家や役所人のモロモロ言動は、国家の安全めちゃめちゃにして不安をもたらしているだけですよ。

  3. 高成田 享 より:

    石巻に出かかていて、いただいたコメントをアップするのが遅れました。すみません。

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