「お宅へ」の新聞が「あなたへ」に変身できるか?
◇“紙本位制”をつらぬくか、読売新聞
最大部数、最大販売網ゆえか、紙の新聞のかわりになる電子版(デジタル版)に乗り出す気配のなかった読売新聞ですが、2019年2月から「読売新聞オンライン」を登場させました。従来の「読売オンライン」と違って、主要記事だけでなく新聞の大部分の記事とデジタル独自の記事がオンラインで提供されます。紙面そのままのイメージで読める「紙面ビューアー」も用意しました。
ただし、3月末までのお試し期間を過ぎると、「読売新聞オンライン」は紙の新聞を購読している人しかフルには利用できません。(おそらく従来の読売オンライン並みには見られるでしょう。) フルに見るためのIDとパスワードは販売店から購読者に届けるというユニークな方法をとっています。日経、朝日、毎日は、紙をとってなくても電子版のみを購読することができるので、その路線と明確に一線を画しています。ですから、たとえば、海外在住で紙の読売をとることができない人が、オンラインで購読したいと希望してもその声には答えられないことになります。このように読売はあくまでも“紙本位制”の路線をつらぬく姿勢を見せています。
◇高畠熱中小学校のみなさんの意外な反応
昨年、山形県高畠町の「熱中小学校」で講義をする機会がありました。本コラムで何度か紹介しているように、熱中小学校は、「もういちど7歳の目で世界を・・・」というキャッチフレーズで、廃校の校舎などを使って全国12箇所にできている大人向けの学校です。
生徒のみなさんに向かって「紙の新聞がなくなると思いますか?」と問いかけたところ、なんと9割以上の人が「なくならない」方に手を上げました。新聞の発行部数がこの10年以上減り続けているグラフを見てもらったあとでの反応であり、意外であると同時に、紙の新聞に思い入れのある私としてはうれしくもなりました。
高畠町のある山形県では、山形新聞が圧倒的シェアを持っています。実際、首都圏と関西圏を除く全国の大部分の県では、県紙と呼ばれる地方紙が最大部数を発行しています。名古屋市を中心とした中京圏でさえ、“全国紙”でなく中日新聞がトップです。(中日のことはブロック紙と呼ぶこともあります。)
新聞の発行部数は、1995年頃のインターネット登場後も2006年頃までは4700万部台(スポーツ新聞を除く)を維持していたのですが、その後急速に減少し、十数年の間に1000万部近くも部数を減らしました。これは最盛期の読売新聞がまるごと消えてしまったようなものです。そのような中で、“全国紙”に比べて地方紙はしぶとさを見せています。
◇新聞の取材網はこれからどうなる?
私は少年期から紙の新聞に親しんできました。長じてメディア全般に関心が広がってからも、新聞の持つ独特の魅力が減じることはありませんでした。日々、いったんニュースをせき止めて30ページ前後の大きな面に割り付けた「世界の断面」。もし、この完成度高い「面文化」が消えてしまうとしたら実に残念なことです。
しかし、そのような感傷的なことよりも、社会的な意味合いを考えてみたときに、新聞が築いてきた取材網や取材力が今後も維持していけるのかという不安を覚えます。その不安を直接もたらしたのは先に述べたインターネットの登場です。私自身、インターネットにはおおいに希望を抱き、自らネットビジネスの起業もしました。さらに追い打ちをかけるように、10年ほど前からスマートフォン(スマホ)が急速に普及して、スマホを通して無料のニュースを見る人が増大しています。
◇インターネットがコンテンツのバラ売りを可能にした
インターネットは「デジタル×ネットワーク」だと言えます。デジタルは、あらゆるコンテンツをバラバラにし、浮遊させます。新聞は、紙の束というアナログのパッケージで世帯メディアとして各家庭に届けられていました。ところが、デジタルの作用で、ニュースというコンテンツのバラ売りが容易になり、新聞社はニュース記事を、ヤフーニュースなどのキュレーションメディアに配信するようになりました。ニュースはアクセスをかせぐのに向いたコンテンツであり、読者に無料で提供しても広告収入を得られるのが新興ネットメディアにとっては魅力です。ヤフーニュース以外にも、ここ数年、スマートニュースやLINEニュースなど無料のキュレーションメディアがスマホアプリの形で多数登場しています。
◇「お宅へ」の新聞が「あなたへ」に変身してお金を取れるか?
もし紙の新聞が立ちゆかなくなると、新聞社はキュレーションメディアへの配信料か、自前で提供する有料電子版(デジタル版)でかせがなくてはなりません。しかし、配信料収入は「買い手市場」であり、大きな期待が持てません。一方、無料ニュースに慣れた読者に有料電子版をとってもらうのには大きな壁があります。
インターネット上のメディアは基本的に個人メディアです。世帯メディアとして特権的地位にあった新聞は、販売店経由で紙を届けていたので個人読者と接したことがありません。そのような新聞が、インターネット上のオール横並びの個人メディアのひとつとして戦っていくのはなかなかたいへんです。「お宅にどうぞ」から「あなたにどうぞ」への革命的転換が求められています。ですから、読売新聞は、読売新聞オンラインの開始によって、「あなた」(個人読者)と直接つながっていけるかどうかがカギになります。
◇使命感と情熱で新しいメディアのデザインを!
近代的な日刊新聞が登場した明治初期を振り返れば、新聞はベンチャービジネスとして、熱い心を持つ起業家が創刊しました。その当時は、欧米の高級紙に相当する「大(おお)新聞」と大衆紙に当たる「小(こ)新聞」に分かれていました。その後、欧米と異なり、両者が合体して今日の大(だい)新聞として世界でも珍しい大部数のマスメディア(単方向大量分配メディア)として発展してきました。ラジオやテレビが登場してもすたれることなく、デジタル時代の今になって、その大成功こそが足かせとなって苦しんでいます。新登場の読売新聞オンラインは、大部数、大販売網という成功体験にしばられての苦し紛れの展開なのか、それともアナログ・リアルとデジタルとの前向きの革新的なシナジーを実現していこうとしているのかとたいへん興味深いところです。
いずれにせよ、新聞界はデジタル化の大波に洗われて再編を余儀なくされることが目に見えています。その中で、今の新聞社そのものを温存せよと言うつもりはありません。しかし、新聞が担ってきた取材、記事製作、報道という社会的役割をむしろ継承、発展させていく新しいメディアのデザインをぜひ生み出していってほしいものです。そのような変革期にあって思い起こしたいのは、明治時代の、新聞というニューメディアを生み出した起業家たちの使命感(ミッション)と情熱(パッション)です。
写真左:高畠熱中小学校にて(2018年11月)
写真右:校條諭著『ニュースメディア進化論』(インプレスR&D、2019年)
出版案内:https://nextpublishing.jp/book/10385.html
レビュー:http://www.genkigakko.net/201902Review.pdf
注)タイトルの写真は、明治34年のミルクホールの情景。新聞が無料で読める。
付記)一部訂正しました。「「読売新聞オンライン」は紙の新聞を購読している人しかには利用できません。」とあったのを、「「読売新聞オンライン」は紙の新聞を購読している人しかフルには利用できません。」とし、「(おそらく従来の読売オンライン並みには見られるでしょう。)」を書き加えました。
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