植物は凄い、賢い
植物は凄い、賢い
脳を持たない植物が「実は凄い、賢い」と言う事を、いろんな所で聴き、見聞しますので、「これは一度、しっかり認識しなければなるまい」と思い、手にしたのが、「たたかう植物」と言う「ちくま新書」です。稲垣栄洋と言う大学の先生(博士)の著作ですが、「仁義なき生存戦略」と言う迫力在る副題までついていて、驚かされます。その一方で新書版らしく分かり易い書でした。以下、印象に残ったところを若干記しますので、御参考にして下されば幸いです。
植物の世界は、殺すことなく平和に見えますが、実は、・・・
私どもは、通常、植物の世界を争いの無い平和なところのように思っていますが、実は、まるで違うようです。著者によれば、やはり「自然界は弱肉強食、適者生存」の世で、植物の世界でも、その点は何一つ変わらないと言います。確かに、動物は、他の生き物を食らい、植物をむさぼるが、植物はそんなことをせずとも、「太陽の光と水と土があれば栄養を生み出し、生きていける」と言えます。
しかし、言い換えれば、植物は太陽の光と水と土が無ければ生きていけないとも言えるのです。つまり、日光、水分、土壌などを巡って、植物同士が熾烈な争いを繰り広げているのです。 植物が上へ伸びるのも、葉を茂らせるのも、他の植物より少しでも優位に立って、日光を浴びるためです。それが出来ず、日陰に甘んじれば、光合成が出来ません。土中でも大変で、水や栄養分を採るため、根っこを張り巡らしているのでして、其処は奪い合いの世界と言います。負ければ枯れるしかありません。
アサガオのつる
最も激しい争いは、日光を巡って起きる由。良く見る中で、具体例を挙げれば、アサガオのつるです。種(たね)を蒔けば、先ず双葉次いで本葉が出て、つるがぐんぐん伸び、葉っぱをどんどん茂らせて行きます。支柱さえ在れば間もなく家の屋根まで達してしまうでしょう。その競争は果敢で、日陰にされないため、スピードが勝負なのです。
このアサガオの様に、植物は日光をエネルギー源とし、水と土から栄養分を得る「光合成」により、炭水化物を作り出し、空気中にそれまで無かった酸素を放出して、大気とオゾン層を形成、地球を更に豊かな生命の星としました。これまでで約三十億年、地球は、まるで別の天体に生まれ変わったのです。本当に凄い、将に植物の御陰です。
バラの戦略
バラは美しい花ですが、トゲがあります。ゲーテの「Heidenroeslein野ばら」が見事にその特性を詩にしていて、シューベルトやウェルナーなどの歌曲が出来ていますが、では、何故、薔薇にはトゲが在るのでしょう。著者は、一つは草食動物の食害から自らを守るためと、その防御の目的を挙げていますが、更に大事な役割が在ると記しています。読み進むと、もともと、つる植物である薔薇は、周囲の植物に寄っかかって、自らを支え、成長を早めて来たと言うのです。そのため、引っかけの機能を持ったトゲが役立って来た分けです。それは、即ち、それは他を利用する、攻めの手段ですね。
上から下へ伸びる「つる」は、遂に「絞め殺し」に至る
更に、植物の中には、鳥の糞とともに落とされて、他の木の上で発芽し、下に伸びて行って着地すると、途端に、そこで根を張り、一気に上に向かって成長するタイプのものが在ると言います。元の木の方は、その植物に、やがて包み込まれ、日光を遮られてしまって、枯死に至ると申します。懸かる侵入者は、あたかも恐ろしい殺人鬼のような植物ですが、この様子を見て、こうした「つる植物」を「絞め殺し植物」と呼ぶ由です。本当に絞め殺すのではないのですが、そういう風に見えると言います。このタイプは、「クワ科イチヂク属」に数種在る由です。そのために元木が枯れても、そのときには侵入者は立派な大木になっているとの事です。
そう言えば、私も屋久島で「絞め殺した」と掲示の在る例を見ました。その種は「ガジュマル」の木だったように思いますね。
鳥などの利活用
ところで、ここで記した「鳥と種の営み」は、植物の賢さを示す典型例でしょう。動けない植物は、その生存圏の発展・拡大のため、恐竜時代の終わり頃に登場した鳥を利活用することを思いついた様です。斯く「思いついた」と記しましたが、植物は頭脳を持たないけれども、そうした機能が働いていると考える外ない感じがして来るのです。著者自身も、懸かる書き方をしているところが散見されます。本当に「植物は賢い」と思えてしまいますね。
先ず、植物の中には、その子孫を残すように「たね:種子」を含んだ果実を作るものが出て来ました。それは美味しく、動物や鳥に食べさせて、たねを遠くに運んでもらう事がアイデアとして出て来ます。果実には、もともとそうした狙いがあったのでしょう。実際、懸かる利活用が実現しています。
では、四足動物と鳥のどちらが、「たね運び」のため、植物にとって良いのでしょうか。植物は、どうやら鳥を希望したようてすね。それは先ず鳥には「歯」が無く、植物の実を呑み込むだけだからです。これに対し、四足動物はバリバリと噛んでしまい、大切なたねを砕いてしまう恐れがあります。
それに、鳥は消化管が短く、たねは消化されずに、そのまま糞の中に出てくる確率が高いのです。これに対し、四足動物は胃腸が長く、その中でゆっくりしている間に消化吸収されてしまう恐れが大ですね。
斯くて鳥を好む選択は、自然の進化の中でも支持されたと見えます。恐竜時代が長く続いたため、その中で小さく登場してきた哺乳類は夜行性でした。その結果として、色の識別の必要が無いため、色が良く見えなかったのです。すると、果実が実り、食べ頃になって赤く色づいても、哺乳類には分かりませんでした。植物が普段もっている色は緑で、そこから出来る果実も始めは緑のままですから、哺乳類には区別出来ないままでして、恐竜が滅んでこの地上が哺乳類の天下となっても、結局それは変わらないままでした。
他方、鳥はもともと昼行性で有り、色が識別できましたから、果実の色づきに気付き、
熟れた実を戴くようになったのです。そして、鳥は大空を飛べます。斯くて、鳥が呑み込んで遠くへ飛び、そのまま糞と一緒に出て来た「たね」は、その植物の拡散・繁殖に大いに役だったのです。植物は斯くて賢い選択をしたと言えます。
なお、哺乳類の中で、人類や類人猿は進化とともに、色彩感覚を回復したと言われ、斯くて私どもの今日の姿がある様です。それは大変面白いテーマですが、ここでは、それ以上触れません。
化学戦とセイタカアワダチソウ
さて、動けない植物は、その身を守り、発展するため、化学物質を獲得、形成し、それを用いて他の植物や生き物を抑制するようになりました。言い方はオーバーかも知れませんが、植物は毒つまり化学兵器を発明・入手し、使うように成ったのです。
その典型は「セイタカアワダチソウ」でしょう。北アメリカ原産のこの植物は、原地では、せいぜい1m位の高さで、秋の野に美しい花を咲かせる鑑賞草花であった由、それが日本に入ってくる(時期については明治時代からとの説もあるが、大量で目立つようになったのは、戦後米軍とともにやって来てからと言う。)と、この国には、その毒に敵がいなかったためか、大変な勢いでほぼ全国に繁殖、且つ2-3mの高さへとモンスター化してしまったのです。北米では植物間の毒対対抗物質のバランスが取れていたので、程々に納まっていたのに、日本ではそうならず、河川敷や空き地で巨大化し、大繁盛を遂げました。
しかし、最近では一時の勢いか無くなり、今は五十cm位で、黄色い花を咲かせるような光景が見られるようになっています。何故か。著書はこれを自家中毒によるとしています。独り勝ちすると、その害毒が自分自身に及ぶようになって来たと言うのです。それは、セイタカアワダチソウにとっても初体験で、植物界の持つバランス力の所産と見られると言います。逆に、この北米産と良い勝負をして来たと言われる日本野草の「ススキ」ですが、海外に渡ると、大雑草としてモンスター化していると言いますから、世界は多様で広いですね。
蜂と蟻の働き
でも、やっぱり植物は動けません。トゲや毒で精一杯の防御をしても、動物に食べられる事は避けられず、回りの植物も自らの生存に懸かりきりで、何もしてくれないのです。そこで、植物が「助けて欲しい !」と言う声を発したかどうか分かりませんが、そうだったかも知れないと思えるほど、自然界のバランス力には凄いもものが在ります。
何かというと、野菜やとーもろこしが出す物質を感知して、害虫を食べに来る蜂がやって来るようになったのです。例を挙げると、キャベツの出すボラタイルという物質を、寄生蜂が嗅ぎ分け、キャベツに付く芋虫のところへやってきて、卵を産み付けます。やがて孵った沢山の幼虫が芋虫を食べてしまうのです。斯くてキャベツは大助かり、それを栽培している農家や企業も良かったと思っている事でしょう。
ただ、著者によれば、これは「自然界に助け合いというものがあるからではない」由です。「どの生物も自分の都合の良いように利己的に生きている」のですが、結果として「お互いに得になるような関係が築かれた。それだけで良いのだ。」と言います。現に、自然界はそういう風に出来ていて、諸作用のいろいろな複合の結果、全体として知恵が発揮されるようになっている様です。
蟻も蜂と似たような機能を持っています。植物は蜜で蟻を集め、引き寄せられた蟻は、
蜜を戴きつつ、その植物の害虫を追っ払い、結果として植物は守られると申します。
雑草と人類
ただ、雑草との関係は違う様相を呈していると申します。
雑草は強いと言うイメージですが、他の植物との関係で言えば、むしろ弱いとの事です。
他の植物が繁茂する所では、雑草は弱いため、競争できず、他の植物が来ない、不毛の地でやっと生き延びられた様です。そうした所は、氷河期に出現したと言います。洪水跡の河原や土砂崩れ後の山の斜面がそうです。其処は雑草が自身の生息場所として見出した所となりました。
更に、人類が登場し、農耕を始め普及させ、村落を作ると、自然環境は大きく変わり、強い植物が生えない環境が広く生まれるようになりました。著者によれば、そこは、弱い雑草の安住の地となったと言います。その雑草はやがて農作業や草取りをする環境に適合し、進化を遂げるに至りました。雑草は栽培されていないが、人間の活動や文化が生みだし、影響を与えている植物なのです。
そうこうする内に、除草剤が作り出され、一旦問題が解決したように見えました。やがて、強力なスーパー雑草が出現、いたちごっこの感を呈し始めています。
事態は、賢い植物との異次元の戦いの様な所が出て来ている様です。将に雑草は人間の文明の所産であり、大問題なのです。
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